恋は遙かに綺羅星のごとく

        Euph.作


皇紀弐千六百八拾年 拾月 拾七日 土曜日
お台場 船の科学館

 土曜日のお休みの日だと言うのに、ボクたち二人は制服を着てボクらの学校、国立大江戸特別芸能高等専門学校――大江戸特芸高専――に向かっている。ボクらの学校は文化事業を強力に推進し、国際社会を常にリードする作品を末永く提供し続けると言う壮大なる国策の元、国の肝いりで新設されたサブカルチャーに特化した国立高専だ。まだ設立三年目で、ボクたち三年生が一期生で最上級生になる。高専のカリキュラムは五年だから、あと二年は最低通わないといけない。いや、むしろボクらがやっているサブカル関係の仕事で食べて生きたいのなら、学校に在籍している間に全国区で名前を売っておかないと駄目なんだと常々思う。
「ねえ、琉璃夏教えてよ。どうして琉璃夏は八千代に協力するようなことを言ったの? 真っ先に反対しそうなのに」
 オレは正直な疑問をぶつけた。先を行く琉璃夏の長々としたポニーテイルが揺れる。
「私が面白いことを見逃さない事は知っているだろう? つまり、そういうことだ」
「え?」
「そして、これは私たちにとっても名を売るチャンスだ。美少女ゲームとはいえ『コイハル』の名はちょっとでも興味のある者ならそのほぼ全員が知っている。しかも、八千代の話が本当なら同人ではなく正統な後継として世に送り出せる。原作者の了解も取った。そして何より重要なのは私がその気になっていると言うことだ。――これでやらない理由など、全く存在しない。そうとも。これは天恵だ。やはり私はそういう星の下に生まれ落ちているのだ。ああ、私の強運が呪わしい」
 琉璃夏は夢を見ているかの口調で熱っぽく話していた。口も挟んでも無駄な事はわかっている。そんな琉璃夏をオレに止められるはずもなく。そうだな、せめて傍にオレが付いていて見守っていてやろう。玉砕する時は一緒だ、琉璃夏。安心してくれよ……。

 ボーーーーーー!
 時ならぬ巨大な汽笛の音。
 その音にオレたちは思わず目をやった。
「あ、大和だ。江戸湾に入港していたんだね」
 日本帝国の誇る超弩級の新鋭戦艦、原子力戦艦大和――重装甲誘導噴式弾搭載戦艦――が、船の科学館沖に停泊しているのが見えた。まさに鋼鉄の城と形容するのが相応しい、戦うために生み出された船だった。
「おお、アレの竣工式をこの前ニュースでやっていたな」
 さすが琉璃夏。この手のニュースは抑えるの早いな。
「うん。とんでもなく大きな船だよね」
「そうだな。――アレが役に立つ世が来ないことを祈るばかりだ」
「あの船の中って、とても快適に生活できるんだって?」
「ああ、カナタにしてはよく知っていたな。なんでも『大和ホテル』と呼ばれているそうだ」

 ◇ ◇ ◇

 二人並んで歩く歩道。休みである今日は人通りも少なく、天気も快晴でどこか清々しい。
「そうだ。ねぇ、琉璃夏。昨日の『韋駄天のごとく!!』見た? 昨日もノギがハヤセに無茶苦茶言っててさ、面白かったよねー」
 オレは昨日のテレビを思い返して思う。
「あのさ、琉璃夏。あのヒロインのノギって子、どうしようもないツンなんだけど、使用人のハヤセのこと、きっと大好きなんだよね? どう見てもあれはバレバレだよ! だからあんな無理難題をいつもいつも言うんだよね。自分にちょっかい出して欲しくってさ。琉璃夏もそうは思わない?」
「別に」
 おかしい。面白おかしく話しかけたつもりなのに、琉璃夏が乗ってこない。それどころか、何か雲行きが怪しくないか? 掌を握り締めてプルプル震わせてるぞ?
「琉璃夏?」
「うるさい黙れ黙っていろ! 私は貴様など嫌い嫌いだ、だっ嫌いだ! この浮気もの!! 私が昨日、どんな思いで暗い部室の中にいたお前たちに声をかけたと思っている! 昨日、この辺りで言い争ったとき、どんなに心細かったか! 貴様にわかるのか!?」
 琉璃夏が爆発した!
「このリア充が! 死んでしまえ! 大方、あんな大東亜的美少女に言い寄られて、のぼせ上がっているのだろうがこの私の目は誤魔化されん! 貴様など知らん! もう知らん! どこへなりとも行って勝手に野垂れ死ね!」
「ど、どうしたんだよ、ごめん、謝るから、ね? 許して? 琉璃夏?」
 変だ。琉璃夏、変すぎる。
「優しくするなぁ!!」
 琉璃夏は涙目で走って行ってしまった。ああ、よくわからないけど、後で機嫌直しておかないと大変だ……。琉璃夏の好きな薄塩ポテチでも買っていこう。それで機嫌直るかな?

 ◇ ◇ ◇

皇紀弐千六百八拾年 拾月 拾七日 土曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 文芸部部室

 琉璃夏は校門でオレを待ってくれていた。早速ポテチを渡すと、それを受け取りながら恥ずかしそうに俯いて許してくれた。しかも、「ありがとう」なんて呟いてた。琉璃夏の奴、絶対おかしいって! さっきのはほんの気まぐれだったみたいなんだ。もう、よくわからない。でも、機嫌は直してくれたみたいだった。本当に良かった。
 オレは軽く話題を振ってみた。
「まさか土曜日も部活をやるなんて思っていなかったよ。運動部でもないのに」
「フン、文化部でも吹奏楽部や模型部はしっかり活動を行っているようだぞ」
 ああ、やっと話に乗ってきてくれた。それにいつもの琉璃夏の元気な声だ!
「えー! あんなのと一緒にしないでよ」
「あはは。まぁ、そう言うな」
 オレたち二人は連れ立って部室に向かった。

「遅かったな」
 八千代は早くも部室に来ていた。
 制服姿の八千代は今日も『恋は遥かに綺羅星のごとく』をプレイしていたらしい。
「まだ九時だよー。八千代」
「いや、八千代はきっと、気合が吹き零れているのだ。貴様も見習え」
 八千代を見習って朝からオレに美少女ゲームをプレイしろと!?
「そなたたちが来るのを待っておった。――よもや、来ないのではないかと心配していたぞ――とても寂しかった。本当に、来てくれて嬉しい。ありがとう」
 八千代は心底嬉しそうに迎え入れてくれるのだった。

 ◇ ◇ ◇

「八千代、あの作品自体は未完成品じゃないみたい。世間で言われてるような未完成のまま出荷して、ギガパッチ宛てておしまい、というような理由じゃなかったのは確かだよ」
「アレは未完成品だ! 必ず、必ず幸せになる終わり方があるに違いない! だからそれを形にするのだ!」
 オレは資料をめくりながらプログラム――スクリプトとも言う――を読み進めてゆく。
「そんなこと言っても――え? 企画段階ではいや、プログラムにもいつでも追加できるようになって――もしかて。――あったあった。『恋は遥かに綺羅星のごとく』幻のメインルートトルゥーエンド! まぁ、当然途中までか。ともかく書き掛けのシナリオデータ発見だ!」
「おお!」
「当時の製作資料と書き掛けのシナリオまで、全部あったよ。やってやれない事は無いかも。八千代」
「良かった……本当に良かった……昨日の話しは夢でも幻でもなく、本当の本当にそなたと物語を紡いで行けるのだな? 大丈夫なのだな!?」
「そうだよ、八千代」
「カナタ……ああ、母上、八千代は幸せです。今日という日が来ることをどれだけ待ち望み、恋焦がれていたか……愛する人と愛すべき人に囲まれつつ、幸せに包まれて日々を過ごせる……夢のようだ。今の今までこんな生活があることなど知らなかった。こんな喜びがこの世にあるなんて今でも信じられない。ああ、これが青春……これが恋……そんな幸せの日々が今始まろうとしている……この感動は忘れまい」
 見れば、八千代の目が少し潤んでいた。泣くようなことかな? コレ。
「ただ、父さんはこの先を書けなかったってさ。シナリオが未完成なんだよ。だから結果的に『コイハル』全体の仕様が変更になって、メインヒロインなのにユリルートにトゥルールートが存在しないような作りになったみたいなんだ」
 ん? 今、オレの左肩に優しく掌が乗せられた。――琉璃夏?
「カナタ。そこまでわかっているのなら、これから貴様が担うべき仕事も当然わかっているのだろうな?」
 琉璃夏がニッコリと微笑んでいる。
「う、琉璃夏……」
「どうした、言ってみろカナタ」
「オレがそのメインヒロインのハッピーエンドに連なるシナリオを書けば良いんだろ? ――わかったよ」
「『オレ』? だれだそいつは?」
 琉璃夏がオレを睨む。――そう。琉璃夏はオレが自分自身を指して『オレ』と呼ぶことを酷く嫌っているみたいなんだ。
「ぼ、ボクが書けば良いんだろ!?」
「なんだ? その投げやりな態度は」
「ボクが書かせて頂きます。いえ、書いてもよろしいでしょうか」
 琉璃夏は大きく息を吐いた。
「そこまで言うのなら仕方がないな。八千代、カナタがどうしても今回のシナリオ書きの仕事は自分に回してほしいと言っている。――任せても構わないか?」
 八千代は目の前で起こった余りの事について来れないでいた。いや失礼、自分の世界にドップリ漬かって向こうの世界を垣間見ていたようだった。
「――構わないか? 八千代?」
 琉璃夏が念を押す。
「――あ、ああ」
 生返事。目の焦点が合っていなかった。八千代の返事は琉璃夏に誘導されたもの以外の何物でもないようだ。それでも琉璃夏は満足したらしい。――ゆっくりと頷く琉璃夏。
「――だ、そうだ。聞いたな、カナタ。――どうした。もっと喜ばないか」
「結局ボクにさせるんだろ!? だったら、どうしてこんなことするんだよ!」
「あ!? なにか言ったか!?」
 琉璃夏がオレを――ボクを酷く睨むんだ。く、畜生、ボクの負けだ……。逆らえないよ。
「こんなボクに仕事を回してくれてありがとう。まさか、父さんの仕事の続きを出来るだなんて、ボクは夢にも思わなかったよ。――それもこれも二人のおかげだよ。あはは、ボク、今とっても嬉しいんだ。――二人とも、喜んでくれているよね?」
 つ、辛い。――こんな台詞を吐かねばならぬ、人生が辛い。
「当然だ。貴様の喜びは私の喜びと同義であるのだからな」  ――琉璃夏、良くもまぁこうも抜け抜けと。
「カナタ……! そなたもそう思ったのだな!? そうなのだな!? うう、泣けてきた。感動だ。この嬉しさと感謝の心の揺らめき、これを感動と言わずしてなんと呼ぼう! 自分も嬉しい。とても嬉しいぞ! 困難な作業を自発的に受けもってくれる、そなたに感謝を。本当に、本当にありがとう……」
 あ、八千代が泣き出した。――八千代、きっと君はボクの事を酷く勘違いしてるから。
「で、だ。いつまでにシナリオを提出してくれるんだ? もちろん優秀な貴様のことだ。――月曜には出来ているものと確信するが」
 は? 月曜!? 正味一日ちょっとしかないじゃないか!――ムリだ! 絶対にムリに決まっている!!
「そ、そんなに早くできるのか? カナタ! ……く、楽しみだ。楽しみに待っている! 早くそのシナリオが読みたいものだ……ああ、それは心揺さぶられるほどに感動的な物語に違いない。恋人たちが本心で語り合い、囁き、お互いを思いあう。これぞ真実の愛の形! 二人の確かなる想いの絆! 甘く切なく、そしてそれが形となって成就するとき、そこに奇跡が生まれるのだ――。カナタが筆を持ったことこそ天の采配、豊葦原におわす八百万の神々よ、今ここに照覧あれ。御身らの寵愛の果てに世界の真実の形が今ここに生まれるのです……願わくは、お力をお貸しください・……」
 八千代が、八千代が何か言っている。目を輝かせ、両手の掌を胸の前で組んで何か呟いている! そんな八千代を見ていたのだろう。勢いを削がれた琉璃夏が一時、言葉を失っていたが、なんとか声を絞り出していた。
「……だ、そうだ。月曜だ。可能だな? カナタ」
「待てよ、そんなに早く書けるわけ無いだろ!?」
「貴様、後から作業する者の身にもなれ! 納期的に、今言ったスケジュールしか貴様には残されていない。貴様に選択肢などあろうはずもない! 死んでも書け。――いいな!?」
「酷いよ、何だよそれ琉璃夏、いくらなんでも無茶苦茶だ――」
 ボクにだって我慢できないことはあるんだ! いくら琉璃夏の言うことだからって!

 パァーン!

 あ。――い、痛い……。
 琉璃夏がボクの右の頬を思いっきり引っ叩いたんだ。そして、床に崩れ落ちたボクに、こんな『指導』をしてくれた。
「黙れクソ虫。貴様はどんな経緯があれ、一度仕事を引き受けた。死んでもそれを実行するのが真の男というものだ。貴様は『男』なのだろう? それとも何か? 見た目どうりのオカマ野郎だったとでも? 都合の良いときだけ『男』を気取るんじゃない! 良いか、我々――私は貴様の『手腕』を、そして八千代は貴様の『男』を見込んで話を持ちかけたのだ。貴様も八千代の期待のほどを眼にしただろう!? 我々を失望させるな。貴様ならできる! 貴様が真の『男』だと言うのならな!!」
 ――そんな酷い。でも、でも、ボクは男だよ! やってやる! やってやるさ!! ――よーし、早速書くぞ!! 
 ボクは机に向かい、早速キーボードと格闘を始めた――。

 ◇ ◇ ◇

「お。やっとヤル気になったようだぞ。ちょっと時間をロスしたな――まぁ、これでよかったか? 八千代」
「あ、ああ。ありがとう、琉璃夏……カナタがヤル気になったのは、まさしくそなたのおかげだ」
「ん。まぁ、今見たようにカナタの誘導なら任せておけ」
「世話になる。琉璃夏」
「構わんよ」
「そなたに感謝を。カナタはきっと成し遂げるだろう。理想の恋人たちの物語を書き上げてくれるのだ。自分はそう信じている」
 二人はジュースを片手にポテチを摘み始めたのだった。